鶴身印刷所が

  • どうやってできたのか
  • どのような歴史があるのか
  • どのような施設なのか

と言ったことを、書いています。

[目次]

  1. 鶴身印刷所の歴史
  2. 印刷所にある歴史ある物たち
[以下は別ページです]
  • どのような施設なのか(現在準備中)
  • 4代目鶴身知子のこと(現在準備中)
  • メディア掲載情報

1.鶴身印刷所の歴史

昭和21年に初代である鶴身精一(当時63歳)が起業したのが始まりです。

この人が鶴身精一です。私の曽祖父です。戦後すぐの印刷所前で撮った写真です。

ニッカウヰスキーさまのラベルをはじめ、お菓子会社や香料会社の印刷をしていました。

その後、精一の息子である小次郎(私の祖父)が、二代目として会社を継ぎました。小次郎はもともと航空会社に勤務しており、精一が鶴身印刷所を立ち上げたのと同時に航空会社を辞め、精一と共に歩んできました。

精一はどうして起業したのか

精一は15のときに父親を亡くし、香川から単身、大阪の谷町の印刷所に奉公しに来ていました。
印刷職人として住み込みで働き、技術を磨きながら、成長し、対外的な折衝もしていたと聞いています。

当時、得意先であった大手酒造メーカーの方から、引き抜きの話も出たそうですが、奉公人として自分を育ててもらった印刷所に恩義を大事にし、その話を断ったそうです。

そうして、時は1945年。終戦の年。

大阪の京橋や谷町といった地域は、終戦の前日に空襲に合いました。そのときに、精一が勤めていた印刷所が焼けてしまいました。

そのとき、その印刷所は、工場としての稼働を行うことをやめるという判断をされたそうです。

すると、得意先の方々から「鶴身さん、なんとかしてくれ」と言われたそうですが、精一は、家も焼け、資産があるわけでもない状態のとき。

得意先の一つである「スカウト製菓」さまが「うちの場所を使いなさい」と仰って、この今の鶴身印刷所の場所を貸して下さり、創業することができたと聞いています。

スカウト製菓さまの印刷物。ボーイスカウトキャラメル、バターボールなどのパッケージ。

販促用のイラスト入りフライヤーもあり、こちらは古本屋SUSさんの店内にて展示されています

それから、1階の工場で印刷業を行い、2階は住居区画として従業員の方も住み込みしながら、2015年12月まで印刷業を営んでいました。

2.印刷所にある歴史ある物たち

石版(印刷の版)


創業当初に使っていた石版たち


今は玄関を入って正面に見える受付の面材になりました。