昭和21年に初代である鶴身精一(当時63歳)が起業したのが始まりです。
この人が鶴身精一です。私の曽祖父です。戦後すぐの印刷所前で撮った写真です。
ニッカウヰスキーさまのラベルをはじめ、お菓子会社や香料会社の印刷をしていました。
その後、精一の息子である小次郎(私の祖父)が、二代目として会社を継ぎました。小次郎はもともと航空会社に勤務しており、精一が鶴身印刷所を立ち上げたのと同時に航空会社を辞め、精一と共に歩んできました。
そうして、2015年まで印刷業を営んでいたのですが、その年の夏に3代目である父が体調を崩したことから、急遽、私が継ぐことになりました。
当時、私には印刷業の知識もなく、父を介護しながら経営することは非常に難しいと感じたため、年末に印刷業を廃業にしました。
今、鶴身印刷所として運営している建物は当時「第一工場」と呼ばれていた建物です。もう一つ「第二工場」という建物が、印刷所から200m先のあたりにあったのですが、そこも手放すことを決めました。
しかし、継いでからずっと、この会社と第一工場をどうしたら良いか、そのことを考えつつも、答えが出ない日々を過ごしていたところ、2016年に入って、知人の方から「第二工場を手放す前に、アートイベントをしたいのだけれど」というお話がありました。
そのときのことを城東じゃーなるさんが記事にして下さっています。
4月23日(土)新喜多にある解体予定の印刷工場で「the birthday」っていうイベントが開催されるみたい!当日の会場となる第二工場と壁画が描かれている第一工場にいってきた! | 城東じゃーなる
この体験は私にとって二つのことをもたらしてくれました。
1つは「実家である印刷工場」という見え方とは違う見方がある、ということ。
当時の印刷工場はいかにも「工場」な場所だったため、私は歴史的・建物的な価値を見出せませんでした。
しかし、このイベントがあったことで、印刷やものづくり、人の歴史というものが、誰かにとっては「とてもすばらしいもの」と思える瞬間があるのだと感じました。
もう1つはイベント時のあたたかさです。
会場となった第二工場はとても暗い印象を受けていたのですが、様々なアーティストの方が展示やワークショップをして下さり、明かりが灯り、そこにいろいろな方が訪れて下さったことで、「人が集まることのあたたかさ」をとても嬉しく感じました。
この体験から、私は第一工場をリノベーションし、「いろいろな方が集まって下さる場所にしよう」と決めることができました。
そして、会社としては印刷業を続けていくことはできないけれど、新たに「ものづくりの方に集まってもらえるようにしよう」とも思いました。
そうして、アートアンドクラフトさんと2016年の秋に出会い、2017年春から企画 設計及び工事が始まりました。
2018年4月、今の「鶴身印刷所」のかたちになり、オープンを迎えた次第です。
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